思い出話・・「バンダイ模型のおねえさん」 その1

思い出話・・「バンダイ模型のおねえさん」 その1




画像は、子供のころに好きだった戦隊物「電子戦隊デンジマン」に登場したメカ、「デンジタイガー」のプラモデルです。

自分にとって、とても思い出深いこの「デンジタイガー」・・・。
もう20年以上前のプラモですが、数年前に再販されたもので、近所のヤマダ電機の玩具売り場でこのキットに出会ったとき、なんともいえない感覚がよみがえってきました・・。こういうのを「甘酸っぱい」とでもいうのか・・、そんな感覚です。

このキットが発売された当時、私は小学校3年生か4年生くらいだと思いますが、まだこのころ、バンダイのプラモデル部門は「バンダイ模型」という別会社でした。
いまでもしっかり覚えているのですが・・、ある日、小学生だった自分は、カゼをひいて学校を休んでいました。
(両親は、はたらいていたので)、一人で寝ているときにこのキットが郵便小包で届いたのです。
そしてそのまま布団のなかで作りはじめ、布団の中に塗料まで持ち出して、(「デンジタイガー」の)窓(?)をパッケージの見本のように、金色で塗ろうか・・、テレビと同様に黄色にしようか・・と悩んだことも覚えていたりして。
しかしなぜプラモが郵便でとどくのか・・?
もちろん当時の私がある人にお願いしたからなのですが。
今でも、もちろん当時もバンダイ自体は通販をしていなかったのですが、このときは、その人が特別におくってくれたものだったのです。
当時の自分はあんまりわかっていませんでしたが、今考えると、おそらく「バンダイ模型」としてでは、なく、その人が個人的にしてくれていたんでしょう。

その人は「バンダイ模型・お客様相談センター」の女性で、私は「バンダイのおねえさん」と呼んでいました。
当時の私は、とにかくプラモがすきで、バンダイのプラモもよくつくっていて、記憶があるのは、「ゴーディアン」「ゴッドシグマ」などのロボットや、ドラえもんの「タイムマシン」とか、アラレちゃんなんかもいろいろつくったし、なぜかゼンマイで歩く「フーテンの寅さん」なんかもあり。
今「バンダイ」といえば超巨大企業ですが、その頃の「バンダイ模型」という会社はとてもフレンドリーというか、親しみやすい会社で、普通に電話もできたし、こちらも子供だから勢いもあって、しょっちゅう電話をかけては、次にでるモノを聞いたり、プラモで出してほしいモノをお願いしたり、作り方のわからないところや、塗装の仕方を質問したりしていた(そういうことにもしっかり対応してくれた)のです。
もちろん、「バンダイ模型」のあった静岡県清水市(当時)だと浜松(浜北)からでは長距離電話になるので、親の留守中にコッソリかけていたのだけど、そのとんでもない電話代(・・・だったらしい)でバレてしまい毎月メチャメチャ怒られたりするのですが、それでもメゲることなく、せっせと電話をしていたのです。

そしてそんな電話の相手をしてくれたのが、「おねえさん」だったのでした。
最初のころは、おじさんの時もあったし、いろんな人と話をしていたんだとおもうけど、いつしか決まった「おねえさん」と話をすることが多くなり、「おねえさん」も私の名前をおぼえてくれて、小学生のつまらない電話にもやさしく相手をしてくれることがうれしくて、しまいには、

「おねえさんいますか?」

と名指しで電話をするようになりました。
電話だけでなく、当時「バンダイ模型」が発行していた「模型情報」というパンフを送ってもらうときとかなくした部品を送ってくれたときにも、「おねえさん」が手紙を添えてくれたりしていて本当にうれしかった記憶があります。
そうこうするうちに「おねえさん」は、「ヒラタさん」という人だと教えてもらい、電話も

「ヒラタさんいますか?」

にかわっていき、家や学校でイヤなことがあってさびしくなったときなど、なにやら質問やらをこじつけて、ヒラタさんに電話することもあったので、ある日には、なんだかトンチンカンな質問をしたらしく、

「どうしたのぉ?」

と笑われてしまったり・・でもその優しい声にホっとしたりしていたんですが、今思えば、これは、子供の「初恋」に近かったのかもしれないなぁ・・なんて思い返すのです。


続きます。



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